2015年08月23日

【二日に一本てのひら百合】2015.08.23 水や月や



 ――あの男いつまでもいつまでもとんだ月(ぐわち/野暮のこと)じゃ。
 鹿恋(囲。上方遊女の第三位。江戸でいう散茶)女郎の小紫が立膝で股の始末をしながらぼやいている。元は天神(上方遊女の第二位。江戸でいう格子)を務めた女なので器量もなにも良いが、歳を食い人気が落ちて鹿恋に下がった。一番下の端へ下がるのももう間もなくだろうと、遣手婆がひそひそ話しているのを、妹女郎の初江はこのあいだ聞いた。初江も鹿恋であるのだが、この落ち目の姉女郎に呼びつけられてはまるで禿のように甲斐甲斐しく世話をする。ものを喋ることはほとんどない。ただ黙って小紫の身体を拭いたり髪を整えたりする。
 ――銀《かね》も出さんし床もお粗末、女郎がおのれひとりのものと思うて、身ぃごと抱いては長っ尻。そのくせおれは水(すい/粋、通人のこと)な客やと思い込んどる。ええ、気色の悪い。気色の悪い阿呆ぼん。
 床で格別嫌なことでもあったのか、小紫は心底腹を立てた様子で自分の膝先を毟るように掻いてはぶつぶつ零す。初江は小紫の乱れた髪を櫛で丁寧に丁寧にとく。
 ――ええか初江。女郎が簪が欲しいと言うたら銀《かね》を寄越すんが水な客じゃ。着物が欲しいと言うたら銀を寄越すんが水な客じゃ。ほうかほうかと簪屋を呼んで、呉服屋を呼んで、なんぞ好きなもんをこしらえなさいとやる客はまだましじゃ。おまえこれを欲しがっていたろうと、田舎趣味の安い安い簪を土産にぶら下げてくるどんくさい阿呆だけはどないもならん。いっとうあかん月じゃ。水面に影も映らん月じゃ。ええか初江。
 ――へえ。
 ――そないな有り様で、ワシはおまえになんでも尽くしとる、おまえをぜぇんぶわかっとるなんぞと、抜かしよる、あの男。……。
 初江はちらと小紫の手元を追う。小紫の少し骨ばった細い手は、ずっと足の付根の股の辺りを痛そうに押さえている。姉女郎の機嫌をこれ以上損ねないように気をつけながら、初江は小紫の腰を後ろからそっと労り撫でる。客を相手にするときにはけっして震えぬ指をちいさく震わせながら撫でる。
 ――水ぶった月ほど、たちと胸糞の悪いもんはあらせん、……。
 ――ほんまのところなんでもかんでも、黙っとるんが、一番ですなぁ、姐さん。……。
 水ぶる月ほど悪いもんはない。
 惚れたを隠す女郎ほど苦いもんもない。


               (参考『色道諸分 難波鉦』)

タグ:創作 百合
posted by 伊西殻 at 19:52| 【二日に一本てのひら百合】